(前編)新宿~皇居 からの続き →
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※ COVID-19感染予防のため、「密」を避けて取材活動をしています。
皇居を出てしばらく東進すると、やがてJRの高架線が姿を見せます。
線路をくぐる直前、右に目を向けると、東京国際フォーラムがそびえ立っています。東京駅から徒歩5分の、巨大なイベント会場です。大きすぎて写真に撮れない...1991年までこの土地には、現在は新宿にある東京都庁舎が建っていたのでした。
ここで左を見れば、線路の先に東京駅が見えます。東京駅について詳しい紹介は、こちらの過去記事をどうぞ。線路をくぐった先で右折するとすぐ、首都高の下を通ることになります。ここで首都高の高架橋側面を見てみると、「銀座京橋」の文字が。
これは別に、この高架橋の名前が「京橋」というわけではありません。首都高はむしろ、かつて橋の下を流れていた「京橋川」の旧河道にあたっています。というわけで、昔京橋がかかっていたのは、私が歩いているこの一般道。歩道の脇には親柱も残っています。
私の歩いているこの道は、旧東海道。江戸時代の京橋は、日本橋に並ぶ交通の要衝でした。
京橋から先、旧東海道は銀座の街を通過します。
有名な「和光の時計塔」。ちょうど11時ごろここを通りましたので、風情ある鐘の音を聞くことができました。ウェストミンスター式のメロディーに続けて、時刻を知らせる11回の連打が響き渡ります。
ここ銀座には、楽器メーカーヤマハの旗艦店があります。見た目がゴツいので正直入りづらいですが、普通のお客さんが入って大丈夫なお店です。「国内最大級の総合楽器店」(ヤマハHPより)ということですから、東京で音楽趣味を始める/続ける方はここで楽器や消耗品、楽譜などを探すと良いでしょう。
銀座の繁華街の終端は、(地名というよりは文字通り橋としての)新橋です。京橋と同じく、首都高と親柱がその歴史を伝えます。
道端には、焼き芋屋さんの軽トラ。薪を積み込み、窯の中にはチロチロと炎が覗いています。
そしてこちらが新橋駅。明治5年に新橋-横浜間で本邦初の鉄道が開業したことを記念して、駅前には蒸気機関車が展示されています。
このあたりの高架橋も、大正3年から残る大変古いものと思われます。
大正3年というのは、東京駅開業の年です。それ以前の東京の鉄道は、西向きのターミナル・新橋と北向きのターミナル・上野が分断されていました。山手線の新橋-上野間と東京駅は、それらの間をつなぐように後から建設されたわけです。
実はこのタイミングで、新橋駅は移転を経験しています。昔の新橋駅は、現在で言うところの汐留駅のあたりにありました(ちなみに横浜駅も、現在で言うところの桜木町駅にあたります)。
というわけでここが、汐留にある旧新橋停車場(再現)。駅舎は博物館となっています。
写真のとおり、屋外には当時の駅の様子が再現されています。開業当時の鉄道は、砂利で枕木を隠すようにしていたそうです。汐留駅のすぐ目の前には、かつて徳川将軍家の御殿もあった「浜離宮恩賜庭園」があります。庭園内の池は東京湾とつながっており、潮の満ち引きに伴って景観が変化するのが特徴です。今回は外からの見た目のみ掲載しますが、いずれ園内の様子もご紹介したいところです。
公園を回り込むように歩を進めて、船着き場越しに眺めることができました。手前に泊まっている宇宙s...フネは、東京湾や隅田川を航行する観光船、ヒミコです。「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」作者の松本零士氏がデザインを手がけられたということで、実質宇宙船と言って良いでしょう。
ここからは船着き場の街。なんとなく爽やかな雰囲気の道を進みます。
たどり着くここが、竹芝埠頭。伊豆諸島や小笠原諸島へ向かう大きな客船も発着します。
私も一度、学科の実習で八丈島へ行った際、竹芝埠頭を発着する「橘丸」を利用しました。八丈島の港で撮った、橘丸の写真を貼っておきます↓。
竹芝埠頭は隅田川の河口に位置しています。左を見れば、川がスカイツリー(押上)方面への伸びていることが分かります。
また右を見れば、これから目指すレインボーブリッジが見えます。手前に積まれたコンテナは、伊豆諸島へ物資を運ぶためのものです。ここは伊豆諸島の人々の暮らしを支える、重要な港というわけです。
景色を眺めていると、ヒミコの姉妹船が湾から帰ってきたのが見えました。背景に見える「F」の電光掲示は、船が「自由に入出航して構わない」ことを示しています。
足元に注目すると、床のタイルには船着き場らしく、舟へんの漢字が色々と刻まれています。
それでは埠頭を離れて、レインボーブリッジへと歩を進めましょう。
なおこのあたりのルート、鉄道(厳密には「新交通システム」)の「ゆりかもめ」が並走しています。ゆりかもめはレインボーブリッジも自動車と一緒に渡り、お台場へと直通しています。高架を走っており大変に景色が良いので、ぜひ一度乗ってみてください。
これ以上はさほど面白い景色もなく、レインボーブリッジのたもとに到着。
一般人の立ち入りを拒む港湾施設に囲まれていますが、大丈夫、レインボーブリッジは歩行者も無料で渡ることができます(ただし季節ごとに営業時間が決まっている)。
商業ビルのような自動ドアを通ります。
そして水族館のようなロビーを抜け、エレベーターに乗ります。橋があまりに高いため、階段で上ることはできないのです。
なお自動車やゆりかもめはエレベーターに乗せるわけにはいかないので、湾の上に設けられたループ状の坂道を上って高度を稼ぎます。
そんなわけでここが、レインボーブリッジの橋上です。
ここ豊洲から、対岸のお台場へと渡っていきます。
橋体内部はこのようになっていて、各方向に向かう自動車の間をゆりかもめが走っています。歩道を歩いているとすぐ横を大型トラックなどが高速で通過し、結構怖いです。
一つ上層にも自動車道があり、こちらは首都高となっています。
お台場が近づいてきました。五輪のマークが乗った筏も浮いています(延期に伴い、メンテのために一旦横浜まで持って行ったそうな)。
手前に見えている四角い島、よく見ると基部が石垣になっています。これこそ「お台場」という地名の由来となった、品川台場。嘉永6年、ペリー艦隊の来航を受けて江戸幕府が建設した洋上砲台です。11ないし12基の台場を数珠状に連ね、それらの間を通過しようとする外国船に集中砲火を浴びせる予定でした(実戦の歴史はありません)。
第三台場と第六台場が現存しており、前者↑は無人島、後者↓は公園となっています。
残念ながら、台場公園は現在オリンピックの準備工事で閉鎖されています。以前見学したときの写真をお見せします。
兵舎礎石 |
弾薬庫跡 |
煉瓦をコンクリートで覆った構造物 |
かまど跡 |
建設当初は海上に孤立していた第六台場ですが、現在はお台場から陸続きになっていることが分かります。
台場公園を眺めているうちに、レインボーブリッジ本体を渡り切ることができました。
↑の写真で、私が橋の右側から左側に移ったのに気づきましたか?このあたりでは左右の歩道を行き来することができます。
来し方を振り返ればスカイツリーや、
東京タワーが遠くに見えます。
橋を下りると、正面にお台場の観覧車が見えます。
しかし私はお台場中心部には向かわず、すぐに左折して島を脱出、千葉方面を目指します。
橋の向う先はまた別の人工島、有明です。有明テニスの森公園等のスポーツ施設があり、やはりオリンピックの準備で立ち入りが制限されています。
次の島「辰巳」には、「辰巳桜橋」という立派な歩行者専用橋で渡ります。
橋上からは、いざというときに都民を守ってくれる水門が見えます。
辰巳では巨大な団地の中を抜けていきます。
こちらは「東京アクアティクスセンター」。例によってオリンピックの水泳競技場です。
例によって白い壁です、はい。
公園を抜けたあたりで、直角のカーブを描いて赤い列車が頭上を通過していきます。ディズニーランドへのアクセス路線として有名な、JR京葉線です。もともとは東京駅から成田空港まで新幹線を走らせようとした用地を転用したために、このような無理矢理な線形になっていると聞いたことがあります。
次に通る人工島「夢の島」では、歩く道が京葉線と合流します。いよいよ、ディズニーまで一直線の道に入ります。
人工島らしくない緑道を抜けていきます。ちょっとした雑木林のよう。
ご意見は、特に無いです。荒川を渡り、葛西に入ります。
葛西に入ったら道を外れて、葛西臨海公園に立ち寄ります。少しばかり、メールのやり取りをしなければならなかったのです。
葛西臨海公園はかなり広い公園です。林の中、原っぱの真ん中、観覧車の上とテレワーク環境は選び放題なわけですが、私は今回は、臨海公園から東京湾に突き出た島の「葛西海浜公園」を目指しました。
東京湾を臨むベンチでiPadを開き、しばし海上テレワーク。
(後編)葛西臨海公園~ディズニー1周 に続く!
高70回 橋本