やってきました、ここは早稲田。今回は早稲田大学を紹介っ......するわけではなく、大学の近くから出ている都電荒川線のご紹介です。終点の早稲田から途中の飛鳥山まで、13駅分の線路沿いを徒歩で辿ります。
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※ COVID-19感染予防のため、取材の際の移動手段は原則的に徒歩としています。また、人が密集する地域に立ち寄ることは避けて活動しています。
都電荒川線について
かつて40路線あった都電(都営の路面電車)の、最後の生き残り。愛称は「東京さくらトラム」。荒川区南千住の「三ノ輪橋」から新宿区西早稲田の「早稲田」までの12.2 km、30停留所を結ぶ。
早稲田停留所からスタート!
早大から少し歩くと、荒川線の終点「早稲田」停留所があります。道路(新目白通り)の真ん中に、それなりの規模の停留所が鎮座している光景は異様なものがあります。
停留所を出た電車はこのまま、道路のど真ん中を突き進んでいきます。実はこの新目白通りは、桜の名所・神田川と並走しています。ですから電車から目を転じればほら、
しばらくすると、都電は神田川を横切って明治通りへと右折していきます。
明治通りは上り坂。普通、鉄道は傾斜を苦手とする乗り物と言われています(摩擦が少なくて滑ってしまう)。しかしこの路面電車は、モーターの音を響かせながら急な坂道を爆走していきます。
途中、雑司が谷付近は工事現場の中を(相変わらず上り坂で)進んで行きます。
線路の左手に少し入ると、室町時代から続く観光名所、法明寺・鬼子母神堂があります。
都電の線路に戻って坂を登り切ると、池袋の外れに出ます。
東池袋四丁目の停留所を出るとすぐ、「道路 対 線路」の「交差点」があります。客の乗降を終えた電車は青信号が出るのを待って、線路を先へと進んで行きます。
もちろん、普通の鉄道と同じような踏切だってちゃんとあります。交差点と踏切の使い分けは......正直よく分かりません。
ここまでの写真を見てお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、都電荒川線は一般的な「路面電車」のイメージと異なり、自動車と一緒になって道路を進むことはあまりありません。その線路は何らかの柵で仕切られているわけですが、このあたりでは柵の柱として古い線路が再利用されていました。
池袋を後にした都電は引き続き北上し、大塚の街へと向かっていきます。
大塚では、歩行者の行き来する駅前を都電が横切っていきます。
ここでもやはり、「道路 対 線路」の大きな交差点でお蕎麦屋さんが信号待ち。
電車は再びバラストの線路に入っていきます。
この踏切は、線路沿いの事業所直結。会社専用の踏切という存在も面白いものです。
このさき線路は、住宅街の裏を通り抜けて行きます。
この間、「おばあちゃんの原宿」として知られる巣鴨の街をかすめて行きます。
この「交差点」では、自転車の少女が赤信号に気付かず、発進した電車の目の前を横切ってしまい警笛を鳴らされるという場面を目撃しました。やはり遮断器のある踏切の方が安全というのは確かなようです。「滝野川一丁目」停留所のあたりでは、荒川線越しにスカイツリーが見える場所がありました。
都電が複線の専用軌道を悠々と走る横で、タクシーが狭い路地を注意深く抜けていました。
上の写真で、線路の向かう先に桜色の丘が見えています。ここが今回の目的地、飛鳥山公園。花見の名所として知られるほか、園内には3つの博物館と、渋沢栄一の旧邸を有しています。
ここから都電は、しばらくの間自動車と混じって道路を走る「併用軌道」を通ります。しかし私は、ここで都電に別れを告げて、飛鳥山公園をぶらりと見物することにします。
今日は3月29日。飛鳥山公園も桜は満開です。
いま咲き誇っている花は桜ばかりではありません。レア(?)なところでは、紅葉の花も満開。
今回の旅はこれでお終いです。路面電車という、馴染みのない人間にとってはちょっと不思議な交通機関。実は、私が上京して最初にした「東京見物」というのが、都電荒川線の一日乗車券(\400)を利用した沿線観光だったのでした。皆さんも是非、路面電車のもつ独特の情緒と、沿線に満ちる下町の空気を楽しんでほしいと思います。
おまけ
帰り際、道の脇に「一里塚」が残っているのを目にしました。渋沢栄一が保存に尽力したとのことです。
撮影情報
いずれもFUJIFILM X100Vで撮影
(鉄道写真は、連写を多用することになって整理が大変ですね... 最近あまり評判のよろしくない「撮り鉄」ですが、相当な執念がないと務まらないというのは確かなようです。)