朝日新聞遠州版の連載記事「遠州考-やらまいかを探る」。長年にわたる他所での勤務を経て出身地に戻った新聞記者が出身地を掘り下げるという企画です。
筆者は高28回生の長谷川智さん。2018年4月から2021年3月の期間で連載されていました。これを纏めた書籍として「遠州考」「遠州考Ⅱ」が2019年と2020年に刊行済、最後の3冊目が2021年の5月に刊行予定とのことです。
ご本人の「地域で語り継ぎたい大切な物語を探し、自分なりの視点で構成して、わかりやすく伝えようという企画」とのコメントのとおり、郷土遠州の誇る偉大な先達や産業あるいは文化芸能などがそれらのバックグラウンドとなる地域風土と絡めて取り上げられて、タイトルにもある通り、遠州を考えて探っていかないと成り立たない企画といえます。
また、記事の所々に旧制見付中学や磐田南高校の名前が登場する点も嬉しいところです。
全国で大々的に販売されている書籍ではありませんが、磐田周辺の公共図書館では概ね書架にあるようです。
高36回 てらだぽち
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長谷川智様(高28回)と朝日新聞社様のご厚意により、以下に連載記事のうちの1本を転載させていただきます。
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遠州考
第29章 快人伝(9)完 浅沼武
違憲判決 25条に魂吹き込む
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浅沼武氏 |
入院中の朝日は国から日用品費として月600円の生活扶助を受けていた。「パンツ年1枚、ちり紙月1束」が基準で、生活は苦しい。「せめて1千円に」と57年に提訴。根拠は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」をうたった憲法25条だった。
「朝日訴訟」裁判長
東京地裁の裁判長だった浅沼ら裁判官3人は59年の夏の盛り、弁護団の求めに応じて朝日が入院する岡山県の国立療養所を訪問した。浅沼が「何が欲しいですか」と聞くと、朝日はそんな質問をしてくれるのかと意外そうな顔で「たまにはバナナやウナギのかば焼きを食べてみたいです」と答えた。
浅沼らは「人間らしい生活とは何か」を考え抜いて原告の主張を認めた。「憲法は絵に描いたモチではない」とも断じた。弁護団は「当事者の訴えに素直に耳を傾けてくれた。裁判官に恵まれた」と振り返る。判決は二審で覆され、最高裁は朝日の死亡で上告を棄却した。しかし、憲法25条に魂を吹き込んだ意義は大きかった。
憲法は連合国総司令部(GHQ)主導だったが、生存権の考えはなかった。学者で社会党国会議員の森戸辰男ら日本側の要求で盛り込まれた。西洋の人権思想と明治期の自由民権運動の影響を受けた日本独自の規定とされる。浅沼判決は「努力目標」という理解が一般的だった25条について、国の義務だと判断した。その後の生活保護水準の向上、労働者の賃金引き上げにもつながった。
元厚生官僚で磐田市長だった鈴木望(71)は、「歳出に厳しい財政当局に対して、厚労省は弱い人のために努力してきた。浅沼判決は『厚労省はもっと頑張れ』と尻をたたく意味があった」と言う。
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1928年8月の浅沼武氏(左)。隣は弟 |
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1963年、支援者の寄せ書きなどを見る療養中の朝日茂さん(右) |
労作教育の成果か
浅沼の旧姓は水野で、実家は農業だった。見付中学(現磐田南高)に進学。校長・尾崎楠馬(くすま)の方針で、学校作りを兼ねた労作教育が全国的に知られた。生徒は土木作業に追われて「ドカ中」と呼ばれ、当時造った防風堤などが残る。浅沼がわざわざ岡山を訪問したのは、頭だけでなく体も使って考える労作教育の成果と言えないだろうか。
東京帝国大法学部を経て裁判官になり、水戸地裁所長や東京都地方労働委員会会長も務めた。裁判官時代、在京の見付中同級生に「君はどう思う」と熱心に聞いていた。
79年の判例タイムズ巻頭言に「裁判官が世評にさらされることは宿命で、自己の裁判が上級審で覆るのも制度の常である。勇気をもって栄転左遷を問わず」と書いた。裁判官は法と良心に従って判断すべきだという考えだ。
浅沼が私の高校の同窓だと知ったのは最近だ。良心を大切に弱い人に寄り添い、歴史の扉を開いた先輩を誇らしく感じている。=敬称略
高28回 長谷川智
承諾番号 21-1337